岐阜地方裁判所 昭和31年(行)5号 判決 1957年1月30日
原告 伊藤繁市
被告 中津川税務署長
訴訟代理人 宇佐見初男 外七名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
原告は「被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以て、昭和二十九年度所得額無申告に対し農業所得給与所得及びその他の事業所得ありとして為した課税額一万八百九十円無申告加算税額二千五百円とする(昭和三十一年二月十一日訂正に係る)決定処分は之を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人等は主文同旨の判決を求めた。
第二、当事者双方の主張
一、原告は請求の原因として、原告は昭和十八年頃より現在に至るまで郵政事務官で岐阜県恵那郡岩村町岩村郵便局の外務員として勤務する給与所得者であり昭和二十九年度においては右給与所得以外には一万六千六百八十七円の所得(農業所得ではない)があつたにすぎなかつたので所得税法第二十六条第一項第一号によりその申告の要はないものとして確定申告はなさなかつた。
然るに被告は原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以て昭和二十九年度所得額無申告に対し農業所得給与所得及びその他の事業所得ありとし農業所得額十四万七千五百六十五円給与所得額十九万二百四十八円その他の事業所得額一万六千六百八十七円、所得税額一万八千六百四十円無申告加算税額四千五百円とする決定処分をなし、原告は同年八月一日右決定の通知を受領した。その後被告は右決定に計数上の誤謬を認め同三十一年二月十一日農業所得額を十万二百八十一円所得税額を一万八百九十円無申告加算税額を二千五百円と夫々訂正し之を原告に通知した。しかし右農業所得十万二百八十一円はすべて原告の妹訴外伊藤はるゑに帰属するものであつて原告に帰属するものではない。
従つて被告は実質所得者の判定を誤つたものというべくかゝる誤つた判定を基礎にしてなされた前記決定は違法であつて取消されねばならない。原告はもとより右決定に不服なので法定の期間内に被告に対し再調査の請求をしたところ被告は昭和三十年九月十二日付を以て右請求を棄却し、右棄却の通知は同月十四日原告に到達した。そこで原告は更に同年十月十日名古屋国税局長に対し審査の請求をなしたが同三十一年七月六日付を以て右請求は棄却された。よつて原告は前記決定の取消を求めるため本訴に及んだと述べた。
二、被告指定代理人等は答弁として原告主張の事実中原告がその主張の如き給与所得者であること、被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以て原告主張の如き内容の決定をなし同日該決定の通知が原告に到達したこと、被告が同三十一年二月十一日右決定を原告主張の如く訂正し之を原告に通知したこと、原告が右決定に対しその主張する如く適法に訴願手続を履践したことは何れも之を認めるがその余の事実は之を争う。即ち被告が原告に対し決定した農業所得額十万二百八十一円は次に述べる如く原告に帰属するもので原告主張の如くその妹はるえに帰するものではない。先ず原告の家族関係についてみるに本件係争年度である昭和二十九年中におけるその構成員の氏名年令職業は次欄の通りであつた。
続柄
氏名
年令
職業
世帯主
伊藤繁市
四十六
郵便局勤務、農繁期農業に従事
母
とよ
七十二
主として家事従ず、軽作業の農業従事
三女
澄子
十八
農繁期農業従事、冬期は洋裁通学
長男
登志夫
十六
岩村高校定時制通学昼間は農業従事
次男
行雄
十五
岩村高校普通科通学
妹
はるゑ
三十二
農業従事
甥
小木曽重徳
十一
小学校五年
次女
伊藤ときこ
二十一
五月二十六日加藤浩司と婚姻により除籍
而して原告は昭和十七年頃までは専業農家である原告方の農業経営に専念していたところ同十八年一月頃より公務員として岩村郵便局に勤務することになり爾来その職にあるのであるがその間原告の父辰蔵の死(昭和二十二年三月)により原告家の世帯主となり現在に至つている。一方原告の妹はるゑは同十七年一月訴外小木曽光郎と結婚し夫と共に満洲に渡つたのであるが夫の病死に遭い同十九年長男重徳を連れ帰国し、実家である原告方に居住することとなり爾来原告方の農業に従事していたところ同二十八年に至り母子二人の生活の独立を企図し同年四月より九月まで名古屋市にある女子職業補導所に通学し毛糸編物の技術を修得し、同三十年九月より原告の弟俊方において編物の塾を開き同三十一年一月岩村町本町にアート式編物研究所を開設し母子二人こゝに転居し独立の生活を営み現在に至つている。次に原告方の昭和二十九年中における農業経営面についてみるに耕作面積の内訳は次欄の通りであり外に養蚕(年間収繭量十九貫)を営み役牛一頭緬羊二頭を飼育している。
田
畑
区分
名義人
面積
区分
名義人
面積
自作
伊藤とよ
七畝歩
自作
伊藤とよ
六畝五歩
自作
伊藤繁市
四反二畝二十二歩
自作
伊藤繁市
二反八畝八歩
小作
右同
三反四畝一歩
而して原告は岩村町本郷農業協同組合に組合員として加入しその出資も原告名義でなされ、且つ原告方の農業経営面において例えば供出米代金の受取、肥料の購入農業用資金の借受等右組合を利用するに際してはすべて原告の名において原告自身が之を行つており他方原告は原告方の農業経営について家族に指示を与え農繁期には自ら雇人を頼みその賃銀の支払をなし、役牛の購入をなす等全般的な配慮をなしかくて生じた農業所得額の確定申告書を妹はるゑ名義で提出するに際しては原告自らの判断と計算により之を作成し右はるゑの何等関知するところではなかつたのである。以上原告方の家族関係及び農業経営面における諸事実に徴すれば本件係争年度たる昭和二十九年中において原告の妹はるゑが終始原告方の農業経営に従事していたとはいえ経営の主体が原告からはるゑに移つたとは認められず、むしろ長兄たる原告が外地において夫を失い帰国して来た妹はるゑの生活を保障し扶養をなしていたものと認むべく妹はるゑは原告の扶養に対し道義的見地から原告方の手伝をしていたとみるのが社会通念に適合する。従つて農業労働力の主たる提供は嫁はるゑにあつたとしても之によつて生ずる農業所得は世帯主である原告に帰属するものとした被告の認定は正当であると述べた。
三、原告は右被告主張の事実中、原告の家族関係に関する部分(但し原告が農繁期農業に従事したこと及び妹はるゑ母子が現在独立の生計を営んでいることは否認)が被告主張の通りであること、原告方の農業経営面につきその規模が被告主張の通りであること(但し耕作面積は公簿上のものとして之を認める)原告が岩村町本郷農業協同組合に組合員として加入しその出資も原告名義でなされていること、右組合の利用状況が被告主張の通りであること、原告自ら農繁期に雇人を頼みその賃銀の支払をなし、役牛の購入をなしたこと、妹はるゑ名義の農業所得額確定申告に際しては原告自らの判断と計算により申告書を作成したことは何れも之を認めるがその余の事実は之を争う。即ち原告が原告方の昭和二十九年中における農業経営につき家族に指示を与えていた事実はない。原告は岩村郵便局の外務員として保険の加入募集等に成績を挙げるべくその業務に専念していたので農業経営面に力を入れることができなかつたところから昭和二十七年度までは原告の実母とよが同二十八年度は原告の二女とき子が夫々営農を担当し、右とき子の結婚により同二十九年度に至つては妹はるゑが之を担当し年間二百日以上も労働力を提供して営農全般を鞅掌し農業経営の立案等につき主導的立場にあつたのであり、又農業経営の実績が認められ岩村町農業委員会委員選挙の有資格者でもあつた。之に対し原告は単に勤務の余暇をみて年間僅かに三十日内外労働力を提供しその補助をしたに過ぎない。而して労働力が主たる投下資本である農業経営の実態からみれば主たる労働力の提供者を以て農業経営の主宰者或は支配的影響力を有するものと認むべきである。これを原告方の農業経営についてみれば右事実より経営の主宰者乃至は支配的影響力を有するものは明かに妹はるゑというべきであり、よつて生じた所得はすべて同人に帰属するものである。されば被告が原告を右所得の帰属者と認めたのは単に原告が世帯主或は耕作地の所有者乃至賃借人であるとの外面的事実だけを捉え、原告方における農業経営の実態を調査しなかつたことに基くもので右認定は明かに昭和二十六年一月直所一の一を以て国税庁長官より国税局長宛発せられた「所得税に関する基本通達が五八弓一五九号に違反するものであると述べた。
四、被告指定代理人等は原告の右主張事実はすべて之を争う被告が原告を実質所得者と認定したことは第二の二において述べた事実に徴し何等右基本通達一五八号一五九号に違反するものではないと述べた。
第三証拠<省略>
理由
被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以て原告の昭和二十九年度所得額無申告に対し、農業所得給与所得及びその他の事業所得ありとして農業所得額十四万七千五百六十五円、給与所得額十九万二百四十八円、その他の事業所得額一万六千六百八十七円、所得税額一万八千六百四十円、無申告加算税額四千五百円とする決定をなし、同年八月一日右決定の通知が原告に到達したこと、その後被告において右決定の計数上の誤謬を認め、同三十一年二月十一日農業所得額を十万二百八十一円、所得税額を一万八百九十円、無申告加算税額を二千五百円と夫々訂正し之を原告に通知したこと、原告が右決定に対しその主張の如く適法に訴願手続を履践し本訴を提起するに至つたこと及び昭和二十九年度における原告方の農業所得が十万二百八十一円であつたことは何れも当事者間に争がない。
そこで右農業所得が原告に帰属するか或は原告の妹はるゑに帰属するかについて判断する。
本件係争年度である昭和二十九年中における原告方の家族構成員の性別年令職業が被告主張の通りであること、原告が原告方の世帯主であることは何れも当事者間に争なく、右事実に加うるに証人伊藤はるゑの証言、及び成立に争のない乙第二、四、五号証を以てすれば原告が原告一家の中心的存在で社会的にみて家族全員を扶養すべき地位にある生計の主宰者であつたと認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
而して一般に、社会的にみて家族を扶養すべき地位にある生計の主宰者がある場合、その家族構成員の生計を支える重要な事業は、如何に家族構成員の協力があつたとしても他に特段の事情のない限り右生計の主宰者がその家族を扶養すべき地位との関連において之を主宰しているものと解するを相当とする。
之を本件についてみれば原告方における農業所得は原告がその生計を主宰する原告方家族構成員の生計を支える重要なものであること証人伊藤はるゑの証言及び前記乙第二号証並に弁論の全趣旨により明かであるから、原告が著しく怠惰であるとか、起居を異にするとか等の特段の事情の認められない本件においては原告が生計の主宰者としての責任上原告方の農業経営を主宰していたものと認めるを相当とする。而して原告方の農業経営につき原告が岩村町本郷農業協同組合に組合員として加入しその出資も原告名義でなされ且つ供出米代金の受取、肥料の購入、農業用資金の借受等右組合を利用するに際してはすべて原告の名において原告自身が之を行つていたこと、農繁期には原告自ら雇人を依頼しその賃銀の支払をなしていたこと、役牛の購入も自ら之をなしたこと、農業所得額の確定申告書を妹はるゑ名義で提出するに際しては原告自らの判断と計算により之を作成したこと等は何れも当事者間に争がなく右諸事実を綜合すれば原告方の農業経営につき全般的な配慮をなしていたことを推認し得るのでありこの事実は前記認定を裏付けるに充分なものがあるといわねばならない。而して原告主張の如く原告主張の如く原告の妹はるゑに農業委員会委員の選挙権があつたとしても右事実のみを以ては右はるゑが原告方の農業経営の主宰であつたと認むべきではなく、叉原告の農業経営の主宰者は営農の特殊性からみて労働力の主たる提供者でなければならないとする原告の見解は独自のものであつて採用することはできない。
而して事業所得はその事業の主宰者に帰属すると解すべきであるから原告方における昭和二十九年度農業所得は農業の主宰者と認められる原告に帰属するものといわねばならない。
されば被告の本件に関する実質所得者の判定は正当であるから被告が原告に対し昭和三十年七月十二日頃付を以てなした昭和二十九年度分所得税決定処分は適法というべく之が取消を求める原告の請求は失当として棄却を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主
文の通り判決する。
(裁判官 奥村義雄 小淵連 川崎義徳)